小1年生の長男りゅうきは、学校から帰ると、じいちゃん宅に直行する。
だいたい、午後4時。
普段は、宿題やってから、近くの岡の下公園で、友達と野球かサッカーをやる。
昨日は、あいにくの雨。
久しぶりに習字をした。
じいちゃん(我が父)は、書心など幾つかの流派の書道の師範。
手本を書いてもらって、漢字で龍樹の練習。
じいいさん、字書き、父、恥かき、孫、汗かき。
左の写真、習字する龍樹。龍の字が踊っていて面白い。
中の写真、初めて漢字で名前を書きました。
左の写真、左から孫、父、じいさん、3代の書。

雨でなければ、公園で遊ぶ。おとといの、りゅうきと仲間たち。
ワシの「田舎のパスポート」軽トラと記念撮影。
7月1日の日誌に後輩の、屋久島の野々山と京都の石山からコメントあり。
ありがとう。
ほとんどが、迷惑メールなので、まともなコメントは嬉しい。
このシリーズに野々山や石山の話が出てくるのは、まだ先。
1年後くらいかな。
6月27、28日の東京農大探検部50周年記念誌「未来の君たちへ」の対談。
1961年の創設者、向後さんほか7人が楽舎に集まり、座談会をした。
その時、テレビディレクターの山田和也さんが、今世界で狩猟採集民は地球人口の6%くらいとの話があった。
僕の少年時代は、確実にこの少数民族だった。
今回は、川編
青い地球の川を旅して木を植えて(9)
川遊び、子ども狩猟採集民時代・三
川遊びほど、子ども時代の心を奪われたものはない。
そこは天然の水族館にして遊園地だった。
水族館は餌やりの水着のおねーさんしかその中で泳げないが、川は誰でも、魚やエビやカニと一緒に泳げ、さらに獲って食っても、文句を言う人はいなかった。
初めて、手づかみしたゴリのぴちぴちはねる感触は、今でも手に残っている。小学校低学年で、ミミズや青虫を餌に釣りを覚え、やがてエビ突きに入門する。
道具はプッシュンとかエビ突きと呼んだ。自転車のスポークとチューブのゴムと竹で肥後の守ナイフを使って自作した。
細い竹の中に仕込んだ、先を尖らせたスポークが、ゴムの張力で飛び出す仕組みの簡単なものだ。
最初は石に張り付いてじっとしているゴリを突いて練習する。
次は,エビ突きに進む。エビはテナガエビで、アメリカザリガニをスマートにした格好で、灰青色に鈍く光っている。夜行性で昼間は、岩陰や石の下に隠れている。
直径三十〜五十cmの石が他の石にのっかて、隙間のあるようなところには、大体いた。
慣れるとエビがいる石は、めぼしがつき、ここにいるよと石が呼んでくれているようだ。見つけたら石をこっそりと起こし、一度で仕留めないと長い爪ではねて逃げられた。
お盆前までが、エビは多く、仲のいい友達と連れ立って、エビ突きにいった。日曜日は朝から、ご飯だけ詰めたアルミの弁当缶と塩だけ持って出かけたこともある。
エビを突きながら浅い川を遡行していく。腹ばいになって、水中眼鏡で追いかけるので、エビ突きシーズンは、背中だけ真っ黒に焼けた。
昼までには、一人数十匹は突けた。昼頃になると川原に上がり、焚き火をする。
弁当缶の蓋にご飯をのせ、弁当缶に川の水とエビと塩を入れ煮ると、エビは朱色に染まる。これをおかずにご飯をかき込むように食べたものだ。
この上なくうまかった。
小学校も高学年になると、かな突きと呼んだヤスで魚突きを覚える。最初は、動きの遅いイダ、ハヤを突いて遊ぶが、うまくなるとアユ突きに進む。
アユは速いが、泳ぎにパターンがあるのでこれを読んで突く。エビ突きはそうでもないが、アユ突きは、技に差が出てくる。残念ながら僕はあまりうまくなかった。
うまい子は中学生になると海の魚を突きにいく。アユは五本かな突きで突くが、海の魚は、もっと鋭く強い二本かな突きになる。
上手な子になると泳ぐ魚を岩の穴に追い込み仕留め、感心するばかりだった。
ウナギも、今は減ったが、あの頃はいっぱいいた。
川の堤防は石積みで、その隙間がウナギの巣だった。長いヒゴの先に釣り針を結び、ミミズを餌に、この穴一つ一つに、慎重に入れていく。
ウナギが食いつくと感触で判る。はずれないように、慎重に引き出すと、ウナギがくねって出てきた。
その後、石積みはコンクリート堤に変わり、養殖用のシラウオの取りすぎで、今はすっかり減ったと聞く。ウナギもまた、養殖物と天然物では、味は全く別物だけに、あの頃もっと食っておけばよかったと思うことしきりだ。
父の小さい頃は、よくいたと言うカワウソはもういなかったが、飛ぶ宝石、カワセミはよく見た。
川は遊んでも遊んでも飽きることがなかった。
小さなチャレンジ精神と好奇心ではちきれんばかりで、育ちざかりのエネルギーをもて余している男の子を、瑞々しい新鮮な世界へいざなうには、絶好の自然条件がこじんまり満載されていた。
今、ある学者が、まじめに絶滅危惧種として、カワガキの調査をしていると言う。
カワウソでもあるまいにと思ったが、確かに川で遊ぶカワガキは減ったなあ、と思い至り、愕然とする。
今は、大御所の小説家となった村上龍のデビュー作が、
「限りなく透明に近いブルー」。
1996年、小生が高校3年の時に芥川賞をとった。
最初は、「クリトリスにバターを」と言う下品な題だったらしい。
絶対売れんわ。
文中にある表現、「限りなく透明に近いブルー」を編集者がつけてくれた。
と、何かで著者が語っていたと、記憶にある。
この題名は気に入った。
小生、若いころは、
青、緑、紺、灰、茶系の色が好きだった。
今で言う、エコカラー。
アフリカのおばちゃんたちの民族衣装(アフリカンプリントの原色鮮やかなブーブー)を見てから、色の好みは何でも好きになった。
服や腰巻きの色と頭に巻く布の色を合わせて黒い肌にかっこ良く映えていた。

それをまねて、小生もシャツの色や上着の色と帽子の色を合わせている。
曜日によって色が変わる。
日曜日、紺。
月曜日、紫。
火曜日、赤。
水曜日、青。
木曜日、緑。
金曜日、黄。
土曜日、橙。
透明な光をプリズムに通すと虹色になる。
さしずめ、小生の好みは、
「限りなく透明に近い虹色」
カメレオンみたいに、どんな色にもなる。
今日、四万十楽舎の二階まで、伸びてきたキュウリの葉に、アマガエルがいた。
なかなか、男前(女前?)だった。右の写真は2匹であっちむいてほい。
アマガエルも、少し変色するような気がしたが、間違い?

余談。
アフリカ・チャドで、ある日曜日の朝。
子供の小さいカメレオンを見つけて実験した。
カメレオンはアフリカでは、普通におる。
箱に入れ、色紙でかこって、どんなに変化するか見た。
普通は緑。それが、色紙にあわせて青、黄、橙、赤、茶に変色した。
見事。
それならと、ピンクのタオルでかこってみた。
カメレオンは悩んでいた。
なかなかピンクになれない。
これは、長期戦だ。
一応、水とエサの虫を箱の中に入れ網でふたして、釣りに出かけた。
昼に帰って来ると、カメレオンくん何色とも言えぬ色になり死んでいた。
ノイローゼ死?
申し訳ないことをした。
その夜は、寝付きが悪かった(うそ)。
草刈りをしている時、緑のカメレオンを一刀両断よくした。
「だってー、同じ色でわからんから、しゃーないやろ。」
と、現地スタッフに言い訳したものだ。
殺生で、罰が当たるとしたら、幼い頃からの数だけで千回は楽に超える。
ただ、だいたい食ってちゃんと感謝し成仏してもらった。
この、カメレオンは埋めて石の墓を作った。
無駄な、殺生はイカン。
友が、遠方より来た。
27、28、29日と楽しい3日間だった。
我が母校、東京農大探検部が、来年50周年を迎える。
「未来の君たちへ」という、本を作ることになった。
その環境部会のために、探検部OB・OGで環境系・国際支援系の先輩後輩たちが、
関東関西から、はるばる訪ねてくれた。
まずは山の幸、川の幸、海の幸で歓迎夕食会。
鹿の石釜焼き、すーさんがくれたアユの塩焼き、川エビ、カツオの刺身とたたき。
左から、世界で初のマングローブ植林を成功させた向後元彦さん。1961年探検部創設メンバー。
その隣が、奥さんの地理学者の紀代美さん。
その右、アジア奥地でサバイバルしてきて今はトヨタ財団の逞しくてかわいい加賀道ちゃん。
真ん中、後輩の石山くん。一緒にチャドで植林した仲。今は総合地球環境学研究所の調査員。
右端が、ドキュメンタリーテレビのディレクターで映画監督でもある山田和也先輩。
その奥が、和也さんのツレの本所ちかえさん。

その後、それぞれがパワーポイントで自己紹介。
持ち時間一人10分のはずが、皆30分くらい話す。
面白いネタにはことかかない連中だからしかたない。
寝たのは2時だった。
翌朝は10時から昼食を挟み「農家レストラン・しゃえんじり」で地元食材を満喫して、
16時まで、座談会。
夜はヨシエちゃんこと、一江ウタカのコンサート。
これがまたよく、全員大感激。
声が透きとおって、世界中の楽器の音色に、染み渡っていた。
右から、向後夫妻、道ちゃん、本所さん、和也さん、石山くん。

ウタカの旦那じゅんぺいくんが、手前でパーカッション。楽舎のみっちゃん、ピロも応援出演。

ウタカことヨシエちゃんとジュンペイの息もぴったり。

聞き惚れる、みっちゃん親子と神の子植物王田城さんに喜代志さん。

29日はワシのふるさと、土佐清水を一周し具同の海上保安庁直営の(うそ)回転寿しマリンポリスでたらふく食って、お別れ。夜には、全員帰宅(のはず)。
次回は、10月に琵琶湖の竹村農場で。再会が楽しみ。
青い地球シリーズ第8段。
高知県西部の幡多地方は森川海の自然豊かで、子供達の遊び場のことかかなかった。
今回は海編。
青い地球の川を旅して木を植えて(8)
海釣り、子ども狩猟採集民時代・2
高知県西南部は幡多地方と呼ばれる。
冬なおテカテカ光る照葉樹林の山と、幾筋もの小さな川が、そのまま太平洋に落ち込んでいる。
幡多地方で、貝やカニ、エビ、海草など何でも食べる悪食の魚ブダイをエガミと呼ぶ。
年間を通じて磯でよく釣れる代表的な魚で、磯臭みが強く一般にはあまり人気がないが、橘を使った酢ぬたは、うまかった。
海の幸と山の幸の融合こそ日本の農山漁村のご馳走の極致。
海に釣りに行くというのに沢登りから始めるのが、面白い。
稲刈りの終わった翌朝、じいちゃんが、
「明日は、潮もええけんエガミでも釣りに行くかねや。」
と言うと、おやじ、おんちゃんも一緒にサワガニを取りに行くことになる。
小さな谷に入り、かたっぱしから石を起こし這い出してくるサワガニをとる。
カニが桶にたまってくると、イタドリやヤナギの葉っぱを入れて乾燥を防いでやる。
これが、磯釣りのいいえさになる。二時間も取れば二百匹くらいは取れる。後日のため他の人のため取りすぎはしない。
夏の暑い日、谷を渡る風を浴び、せみ時雨と瀬音を聞きながら、岩と石を磨く水晶のように透明で冷たい沢水につかって歩くだけで、子どもにとっては楽しかった。
翌日は、五時には朝飯をすませ、弁当と竿とカニ桶を持って海に繰り出す。
黒潮洗う足摺地方の磯にはハエと呼ばれる岩の小島が飛び石状に点在している。
このハエに泳ぎ渡ってエガミを釣るのだが、釣れるポイントが決まっているので潮目のいい日は朝早く行かないと、すでに先客がいる。
岸より水中メガネをつけて、海中の魚がサンゴや海草の間を回遊して行くのを確認しながら、目指すハエに泳ぎ着く。白波寄せるハエに取り付いて登るのは岩登り的技術を要する。誤って滑るとカキで体中に擦り傷を作ることになる。
朝早くが一番釣れる時間帯で正午近くになると釣れなくなるし暑くなる。沖には群青の黒潮が帯を引き、紺碧の空を背景に水平線の上には入道雲が連なって弧をえがく。
夜はこの雲の中、いたる所に稲妻が光り、潮騒を聞き浜風に涼みながら天然の花火を楽しむことができる。釣れない時間帯はこの景色を見て気晴らしをする。
エガミは食いつくと竿の先が水の中にググーともぐりこんで行くほどによく引く。体色は赤褐色、頭が大きく出っ歯で、けっして見栄えのいい魚ではない。
午後、釣れたエガミを持ち帰り、さっそく近くの川でさばく。はらわたを川中に投げ込むとイダやハヤが競って掃除してくれる。川でひと泳ぎ潮水を流して帰り道、橘の木に登って実を数十個採っていく。
この実はビー玉とピンポン玉の中間くらいの大きさで、独特のキリッとした香りの酢が取れる。
待ちかまえていたばあちゃんと母がこの酢と味噌を和え、ぶつ切りにしたエガミの切り身に、裏の畑で採れたタマネギやハスイモを切って混ぜる。
ニンニク、ミヨウガ、シソ、サンショウなどを刻んで入れると更にいい香りになる。
これを冷蔵庫で冷やすと、エガミの身が締まって歯ざわりがよくなり、橘の酢がピリッときいて、磯の恵みと山の香が融合した至福の味になる。
二日越しの狩猟採取の醍醐味はここに極まる。
僕に自然遊びの手ほどきをしてくれた友達は、漁師の息子で、弁当にはいつもアジの開きが乗っていた。その友達が中学校になると、磯釣りに行かなくなった。
「磯の魚は百姓のおんちゃんらあのもんじゃけん、漁師は沖の魚を獲れ、。」
とおやじに言われたそうだ。
懐古趣味や自然回帰に興味はないし、堅苦しい因習や根拠のない迷信は肯定できないが、あの頃の風景には人と自然、人と人のいい関係が、沢山織り込まれていた。
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