山田隊長日誌

山田隊長の日誌です。

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青い地球の川を旅して木を植えて(24)

1981年当時、アマゾンは陽気な人たちと恵み多い川と森で迎えてくれた。
今も変わってないと思う。


青い地球の川を旅して木を植えて(24)
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「軍隊から買ったガソリン」
 白いドアを開けると、黒い顔がニヤリと笑った。 
 どこかで見た顔だ。五月十一日月曜日、ブラジル最初の町ククイ、軍隊の隊長室を訪ねた時である。
 一昨日の土曜日、ビザ切れ寸前にベネズエラを出国した。その午後、チャーターしたボートで角のようにとがったマウント・ククイの岩峰がそそり立つこの町に着いた。
 スコールの中、濡れねずみになっていたが、荷物を宿に運ぶとそのまま、川に面した飲み屋に行った。多難続きであったベネズエラ出国と、ブラジル入国を祝って松岡とセルベッサ(ビール)で乾杯した。雨はあがり、密林の蒸し暑くけだるい夕暮れを、甘い香りの川風に吹かれアルコールで楽しむ人たちで賑わっていた。
 ここの陽気な人たちとはすぐに打ち解けた。オリノコ川からラプラタ川まで、一万kmの川旅をしていると言うと、オーパ、オーパと喜んでくれた。
 オーパとはアマゾン地方の人々の感嘆符。作家開高健さんが、アマゾンを釣り歩き、よく耳にした言葉で、その紀行文の題名にもなった言葉。驚いたり感激すると、オーパと言う。世界最大の密林アマゾンの雄大さにピッタリの言葉だ。

 そして今、目の前で楽しそうに親しげに笑っている隊長は、土曜の夕方、陽気なサンバの流れるその飲み屋で、にぎやかに笑っている人たちの中に見た顔だった。昨日十日は、飲み屋で知り合った人の案内で、カヌーを買うことができた。待望の丸木彫りカヌー、全長十m。しかし、ここククイは国境警備にあたる軍隊の町で、ガソリンはすべて軍隊が所有している。一般人が手に入れるのは難しいとのこと。
 ここ大勝負、今日は朝から気合いを入れ、隊長に会いにいった。無精ひげをそり、髪にクシを入れ、正装用の白いシャツとズボンを着て緊張してやってきた。それなのにこの隊長、Tシャツに半ズボン。 
 しゃちほこばっている私達に、土曜日の薄汚れた格好をオーバーラップさせてかおかしそうに笑っている。一応、ポルトガル語の計画書をみせ、真剣に活動の説明をする。努力のかいを認められてかどうか、ガソリン二百リットル、トラベラーチェックであっさり売ってくれた。
 さっそく新しいカヌーを試運転してみる。僕らのヤマハ十五馬力エンジンでも舳先があがりかっこよく走る。満足。川はすでにアマゾン川支流ネグロ川。ネグロはブラジル語で黒の意味。その名のとおり水の色はコカコーラそっくりで、黒っぽく澄んでいる。これは森林や 湿地で腐った植物が完全に分解されないで水に溶けているためだ。
飲んでみる。当然コカコーラの味ではなく、オリノコ川の土濁りの水に較べると、あっさりして味は落ちる。
 カヌーはグランマナニャーナ(おおいなる明日)鵺号と命名した。再び自分達の舟を手に入れ、アマゾン大密林縦断だ。
 ブラジルの第一印象はいい。人々は気さくで明るい。ヴェネズエラでは、いきなり強盗に遭って、人に会うのが怖くなっていたしブラジルでは「チーノ(中国人)」と言い捨てられるのにも辟易していた。
 アマゾンでアではジャポネス・アミーゴ(日本人友達)と声をかけてくる。川と空が真っ赤に染まる頃、例の飲み屋で兵隊さんたちがビールで乾杯し前祝をしてくれた。まるで古くからの友人のように。
 もちろん隊長もその中にいた。

懲りない癖

9月はじめ、東京に行った時、山道具屋で「日本の岩場・四国/九州編」を見つけて買った。
高知県西部では大堂海岸が紹介されていた。

以下の写真は、土佐清水市西部の海岸の岩礁。
小学校5年生の頃、ウインパーの「アルプス登攀記」を読んで刺激され、登った岩壁。

大学で本格的なクライミングをやったが、原点はここにある。
今でも岩を観ると登攀ルートを探すし、急流を観ると下るコースを探す。

懲りないとは思うが、癖はなおらない。
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地球の家族

最近、写真を撮っていない。
特別に理由は無い。
これまで、カメラを捨てた事が3度ある。
と、前に書いた。
世界200カ国のうち、半分以上を訪ねているが、
ヨーロッパ、アジアを回った頃は、カメラを持っていなかった時期が長い。
写真を整理しても圧倒的に、アフリカ、南米が多い。
あの強い光は,熱帯でないとない。

昨日、山で間伐していて、跳ねた木に、したたか膝を打って歩けないので、
昔の写真をながめていた。
自然も多く撮っているが、家族写真が多い。

その土地に溶け込むこつは、子どもと仲良くなる事。
子どもがなつけば、母親に信用される。
世界何所でも、家庭は女が強い、母に信頼されれば男もOK。

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青い地球の川を旅して木を植えて(23)

シルバーウィークと名づけられた秋の連休。
四万十川沿いの国道も県外車が渋滞。
四万十楽舎も連日満室。
川ガキコース、カヌーツーリング、黒尊川シュノーケリングも人気メニュー。
往復は渋滞をさけて裏道を通る。

青い地球シリーズもいよいよアマゾン川に入る。
原稿が多いので、何所を削るか思案中。


青い地球の川を旅して木を植えて(23)

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「緑の館を疾走」
 オリノコ上流は、記録映像で知られる“自然と共に生きる人々”(先住インディオ)の領域だ。オードリー・ヘップバーン主演の映画「緑の館」の舞台となった所でもある。
 オリノコ河口から約千百kmのアヤクーチョには五月二日に着いた。両岸の密林も濃くなった。プエルト・オルダス以来の大きな町。ここから上流八〇kmのサマリアポまでは急流地帯で、川舟は通行できず、陸路となる。アヤクーチョはオリノコ下流と上流との中継点として栄えている。
 五月十日のビザ切れに間に合うように、これまでの遅いグランマニャーナ号はここで処分し、サマリアポからは現地船をチャーターしブラジル国境まで抜けることにした。ここはオリノコ上流への入口。アマゾンへ続く大熱帯密林の始まり。
 アヤクーチョでは、車の走る通りで腰蓑をつけたインディオが槍や弓を売っていた。先住民インディオ系の顔をした警官が、
「チーノ、チーノ、」といいながら通りすぎた。チーノとは低賃金労働者として入植した中国人に対する蔑称だ。立腹するより悲しかった。
 日本人だと言えば態度が変わると分かっていたが、しなかった。人を国や人種で分別することには、大いに疑問を感じる。サマリアポへの道端には、バラックのインディオ居留地があり、無表情の視線が脳裏に焼きついた。
 サマリアポの港の荷担ぎとして働くインディオの老人が天上を指し神のことを話す。スペイン語と彼らの言葉で書かれた、ぼろぼろの聖書を大切に持つ不恰好な手、遠くを見るような目が、僕の寝つきを悪くした。
 コロンブスは一四九八年、三回目の航海でオリノコ河口を訪れている。当時、先住民は、川という天然の水路を利用して往来し、広範囲の文化圏を作っていたらしい。オリノコ流域からカリブ海にかけてカリブ語族が広く住んでいたという研究がある。
 コロンブス以後、この河は、エルドラド(黄金郷)を求める征服者と土地を奪う植民者に、かっこうの道を提供した。先住インディオ達はその度に謀殺され追いやられた。
 さらにやってきたキリスト教伝道師や自然科学者達は良心的であっても、ヨーロッパからの伝染病をさらに広めた。聖書(侵入者の贈り物)を読む老インディオが、そんな悲史を振り払うかのように盲目的に熱心に見えたのは、考えすぎだろうか。
 サマリアポでチャーターしたのはアメリカ製大型モーターボートで、巨大なジョンソンの船外機を積んでいる。水上スキーでもやるような代物。船長は欧米からの金持ち観光客がお得意で、スペイン語と英語のパンフレットまである。 
 ここで天然のカシキアレ運河は通らないことが判明する。カシキアレ川は、オリノコ川上流で分流しアマゾン水系に流れる天然の運河で、ここを通過するのが、今回の目標の一つだった。
 しかし、チャーターしたボートは、国境沿いの支流をショートカットし陸送してアマゾン水系に出ることが分かった。残念だけどビザ期限を考えるとこの方法しか選択肢が無い。時速六〇km以上で疾走するモーターボートは、時々休憩し、インディオの村で彼らの主食のカサベと魚の燻製を買う。これも観光客へオリノコの味のサービスか。
 大自然と太陽のめぐりと共に生きる人々を横目に三百kmの距離をわずか五時間の猛スピードで走った。さらにジャングルの悪路をトラックで抜けて、アマゾン水系ネグロ川の支流の町マロアに着いた。人口三百人というベネズエラの奥地の町マロア。食堂のおばさんに愚問。 
「ここに来た日本人ははじめて?」
「いや、電気製品のセールスマンが飛行機できたことがあるよ。」
 当時、エコノミックアニマルと呼ばれた日本人のすさまじさ。敬服もし、うしろめたさに似た気恥ずかしさも感じた感傷と苦笑の夜。

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